満3歳近くまで名古屋市昭和区廣瀬町に住んでいた。後年、名古屋に就職した際、その生家が会社寮の徒歩圏だったので、休みの日に生家を撮りに行ってきた…昭和36年のことである。で、生家の北方には斜め(北西~南東)に飯田街道があり、そこを「尾三バス」(正式には尾三自動車)が走っていた。そのバスを見に父に連れて行ってもらうのが嬉しかった(らしい)…生前父がそのように云っていた。まだようやくカタコトを話すようになったボクは、そのバスを「ビシャンバス」と云っていた(らしい)。家のすぐ前には牧場があったと聞いたが、その頃のことは全然覚えていない。(名古屋牛乳の本社が近くに現存するので…その関連の牧場だったのかも?) 記憶が確かになるのはその後、昭和17年半ば、父の転勤で九州の門司市(現・北九州市門司区)へ引っ越してからのことである。又、生家の東には大久手~桜山の市電通りがあったが、開通したのは戦後の昭和25年のことだ。
生家と牧場の画像は以前の記事で掲出済みです。
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