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カテゴリー「思い出すこと…」の29件の記事

2017年10月10日 (火)

晴れの特異日

 53年前の1964(昭和39)年10月10日…東京オリンピックの開会式。当時、10月10日は過去の記録から東京の「晴れの特異日」と言うことで開会式の日に決められたと聞いた。 (最も晴れが多いのは15日だったが、曜日を勘案して次に多い10日となったらしい)

 そして、今日も快晴。いつの日からか「体育の日」は第2月曜日になったが、いまだに違和感がある。

 で、今日は出先での待ち時間を利用して‘ちょい散歩’…国道に出て暫らくは北へ向かう。広い歩道に歩く人には殆んど居ない。暫らくは背中から日を浴びながら…
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 交差点で旧道を4時方向へ…真ん中の流れを暗渠にして遊歩道になっている。所どころに花壇があり、今はオキザリス?が植栽されている。
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 やがて、出発地付近…
01301 50分、3.5キロ。

 終日晴れが続きそう… sun

2017年9月25日 (月)

♪オクラホマミキサー&恋♪

 気持ち良く晴れ上がった。久し振りに午前の’ちょい散歩’… 先ずは坂上コースを行く。
00301 暫らく行くと小学校のグランドから♪オクラホマミキサー♪が聞こえてきた。フェンスの間からは白と赤のキャップを被った生徒たちが見えた。その昔からこの曲はフォークダンスでよく使われる。急遽進行方向を変えしっかり見える場所まで上がってみると…全員ボンボンを持って踊っている…フォークダンスではないようだ。(因みに自分の学校生活では一度もフォークダンスの経験は無い。小学校では全校生徒900人…徒競争だけで随分時間が掛かった)。数ショットしてcamera camera camera コースに戻ろうと保育園(幼稚園?)の横を通っていると今度は聴き慣れた♪♪のイントロがが流れてきて黄色のキャップを被って赤いボンボンを持った幼児たちがぎこちなく踊っているのが垣間見える。
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 次世代の日本を背負う子供たち… 平和の中で育ってほしい…

 ちょっと寄り道をしたのでコース途中から大通りに向かうことに… 陸橋の傍にクズ(葛)が咲きも生っていた。
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 抜け道を行くと…フヨウ(芙蓉)が花を付け、このところ良く出合うチョウ…ツマグロヒョウモン ♂が何頭か舞っている。
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 大通りに出て南下し大きな交差点から西へ… 街路樹の根元にムラサキゴテン(紫御殿)…用水路を上から見ながら帰路に就く。
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 今日も夏日…sun  最高気温29.1℃。

2017年9月16日 (土)

56年前…

 (56年前)縁あって金沢から名古屋へ… 出発当日、駅頭で母や近所のおじさん、おばさんに見送られ循環準急「しろがね」で約5時間かけて名古屋へ移動した。「しろがね」は名古屋発の名古屋行き。経路は名古屋から東海道線~(岐阜)高山線~(富山) 北陸本線~(金沢)~(福井)~(敦賀)~(米原)東海道線~名古屋

 で、職場にも慣れ落ち着いてからは年1~2回金沢へ帰った。その時は右回りの循環準急「こがね」を利用した(…と思う)。金沢に帰るとそこにはゆっくりとした時間が流れ空地では女の子も混じって三角ベース。昭和ど真ん中の風景があった。
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 雨の一日…遠い昔のことを思い出す。

2016年7月 3日 (日)

名鉄扶桑駅

 1963(昭和38)年4月、それまで市電・安田車庫前にあった大正年間建築と思われる木造2階建てから新築の寮に移った。周りを桑畑に囲まれた田舎です。通勤は扶桑駅から…
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 新名古屋駅(現・名鉄名古屋)まで普通電車で4~50分掛かった。当時からラッシュ時の2両編成普通電車は満員で時には連結部分に立ち、そのドアで仕切られた空間は格好の喫煙場所 smoking だった。しかし、連結器の上の鉄板は不安定で随分揺れたことを覚えている。(今となっては若気の至りだが…)

 このにはほろ苦い想い出の数々が…
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 あれから50数年…想い出は遠ーい遠ーい時空の彼方へ…

2015年10月31日 (土)

思い出の駅弁

 SCへ小用事を兼ね‘ちょい散歩’… 少し遠回りをして… と、桜がチラホラと… シキザクラ(四季桜)かな?
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 陸橋から大通り を1ショット camera ! ちょうど日が射した。
01001 渡り終わって店内 へ… 目的はコレ!
01201 北陸本線 敦賀駅 塩荘 鯛寿司 は外せない。手に取っていたら見知らぬ年輩のおじさんから「そう、これだよね」と話し掛けられた。それぞれに思い出のある駅弁。その昔、金沢からの帰り、特急「しらさぎ」車内販売で必ず買った一品!その車内販売も今はもう無い … bearing … らしい。

2015年10月17日 (土)

エア(ライン) バッグ

1961(昭和36)年 名古屋へ。確たる将来の見通しもなく伝手を頼って就職した。初任給は7000円ほどだったが寮生活は楽しかった。通勤は市電で40分…長閑な時代。地下鉄は既に名古屋駅前~栄の間が開通していたが、市内の移動はまだ市電とバスが主役を担っていた。

駅前には大名古屋ビルヂング、毎日ビル、豊田ビルなどが景観を保っていたが、一歩入ると低層の建屋も多くあった。 で、職場の近くには数社の外国エアラインの事務所があり、その社員の方と顔なじみなった。当時は1ドル360円の時代…海外旅行なんて思いもつかなかったが、その社員の方からエア(ライン)バッグ を譲ってもらうことがあり同僚とアミダくじの対象とした。人気はパンナム(PANAM)のバッグ。細身でカッコ良かった。8年前引っ越すときに処分してもう手元には無い。そして、もう1つ…SAS(スカンジナビア・エア・システム)も持っていた。
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Sas_01 (画像はwebより 一部筆者加工)

 

ふと、エア(ライン)バッグ のことを思い出した。

2015年2月 7日 (土)

起床時刻

 20代~30代前半は夜勤もあって、出勤に合わせた起床時刻だったり、前日の勤務状態に依って睡眠時間は長短バラバラだった。その後はほぼ日勤の職場だったが、結構長時間勤務になることも多かった。

 で、目覚ましの設定時刻だが終盤10年ほどは7時10分。そして、職を辞してからは7時40分 と30分遅くした。(8時のゴミ出しが基準) 。 就寝時刻は相変わらず深夜0時ごろだから、睡眠時間は7時間余と云うことになるが、その日に依ってグッスリ感は様々だ。耳元にはイヤホーンがあり「NHK第一」が付けっ放しにしてある。

 今朝はゴミ収集もなく目覚ましはなし。ラジオ体操を微かに聴いていて、アナウンサーの「6時55分です」も聴いていた。しかし、その後また眠ったようだ。目が覚めたら8時10分になっていた。こうなると毎朝のルーティーンが順送りになり、歩きに出るのも遅くなる。

 空には雲が多く薄日が差している。時計回りの周回コースを… 中通り から大通りとの交差点 を右折して緩い上りを行く…
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 全速でヤングランナー が擦れ違う… やがて、大きな交差点手前からSCのオープンデッキ を通り、再び大通り に出て南下…
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 間もなくのT字交差点 を…
01101 横断し、更に右歩道へ渡って帰路に就く。と、今朝はよそ見もせず真面目に歩いた。

 と云うことで…10440歩…でした。

2015年1月22日 (木)

尾張四観音と恵方

 荒子観音甚目寺(じもくじ)観音龍泉寺観音笠寺観音尾張四観音だ。そして、今年の恵方荒子観音となっている。勿論、その中心は名古屋城 だ。
Ehou (←笠寺観音HPよりお借りしました)
 節分にはどの寺院も賑わうが、特に恵方に当たった観音様は参拝者でごった返す。

 で、昭和40年代(1965年~)約7年間、笠寺観音 の近くに住んでいた。名鉄電車は本笠寺駅、名古屋市電は「笠寺西門前」が最寄りの停留所で、節分祭には臨時便が次々と満員の参拝客を運んできた。

 住処の直ぐ前は旧東海道。近くには一里塚もあり、もう少し江戸方向へ歩けば鳴海の宿だった。今でも鳴海絞り で少しは知れている。

 小さな借家は6畳と4畳半に3畳ほどの台所。風呂は木の浴槽で風通しの良い小屋の中にあり、オガライト が燃料だった。TVは勿論モノクロ。デビッド・ジャンセンの「逃亡者」を楽しみにしていた。

 人生の10分の1はこの地での生活。思い出すと懐かしい。

2014年12月29日 (月)

いただきます!

 1日が慌ただしく過ぎてゆく。そして、1年があっという間だ。狭い住処で何をすると云うこともないのだが、歳末はそれなりにやることが出てくる。

 今朝は雨降りで歩きは中止… しかし、新聞日曜版の「間違い探し」や「クロスワードパズル」をのんびりとやっていたら晴れてきた。そこで動き出す。気になっていたキッチン換気扇のクリーンアップや吸気口の点検などを進め、午後は往復2キロを買物に… 更に、車をSCに置いて、郵便局に postoffice 立ち寄ったり… ホッとしようとスタバに行くと行列が外まで… 漸くこちらでちょっと休憩…
00101 ここでの光景…パパに連れられた就学前らしき男の子と女の子が席に着くなり「いただきますっ!」と叫ぶように元気な声をあげた。 思わず覗き込むとニコニコしながらソフトクリームに口をつけようとしているところだった。何だかほのぼのとした気分で嬉しくなる。平素の躾なのだろう。今更遅いが私は公の場でのこう云う躾をしてこなかった。

 思い出すと社員食堂でも「いただきます」と言いながら手を合わせる人が何人か居た。見習いたいと思いながら気恥かしさもあって、黙って手を合わせるのが精一杯だった。

2014年11月20日 (木)

青木功さん

 先週木曜日のクローズアップ現代 “ふたり”でつかめ  メジャー制覇松山英樹と石川遼~に青木功 さんが出演していた。相変わらず朴訥とした話し方は変わっていない。私より先輩と思っていたが1942年8月生まれだから72歳…お元気そうだった。

 で、思い出したことがあった。30数年前始めたゴルフ…職場の上司に連れられて何度かラウンドをしたことがあるが、ある時、回り終わってクラブハウスへ戻ろうとしていると、何処かで誰かが「アオキがいるぞーっ!」と叫んだ。当時は(今もそうだろうが…)アオキと云えば青木功 プロに決まっている。メンバー全員が急いで声のする方へ走った。そこで見たのはティーグランドで腹這いになっている本人と脇にもうひとり、くつろいだ雰囲気で縦膝で座っているゴルファーだった。練習ラウンドらしい。暫らくすると急遽集まったギャラリーの前でティーショットを打った。その打球の凄いこと…低い弾道で放たれたボールは相当向こうへ飛んでからグググーッと一段と高い放物線を描いて視界から消えた。プロの桁違いの凄さを身近に見た一瞬だった。

 それだけのことだが、その後数年してゴルフから遠ざかった… confident
06901 (1983.9月 筆者)